渋沢栄一自伝『雨夜譚』を読む

主任調査員の金子です。

先月は今年の大河ドラマ「どうする家康」の話をしましたが、私は一昨年の「青天を衝け」が本当に大好きで、毎週日曜日が来るのを待ち焦がれながら1年近くを過ごしていました。

というのは15年前くらいから「青天を衝け」主人公の渋沢栄一に強い関心を持ち、その多大なる業績に対し、世の中の認知度が低いことを嘆かわしく思っていました。

私がプライベートで活動している会で、何度か谷中霊園の渋沢栄一のお墓を案内して、その業績や人物像について語ったものでした。

そのような訳で、大河ドラマの主人公になるのは望外の喜びでした。内容も栄一の自伝など、数々の資料をベースにして丁寧に描かれており、私の考える大河ドラマの理想形ともいえる完成度でした。

これは朝ドラ「あさが来た」も脚本した大森美香さんの手腕もあったかと思います。

渋沢栄一については『渋沢栄一伝記資料』という全58巻+別巻10巻という膨大な資料集があり、伝記に関しては、文豪幸田露伴や渋沢の秘書白石喜太郎の書いたものや、吉川弘文館の人物叢書シリーズ、岩波新書など数多く出版されています。個人的には昨年亡くなられたノンフィクション作家佐野眞一の『渋沢三代』(文春新書)が興味を持ちったころに読んだこともあり、大きな影響を受けました。栄一だけではなく、子篤二、孫敬三の三代を描き、正に渋沢家のファミリーヒストリーといった内容になっています。

それから、岩波文庫の『渋沢栄一自伝 雨夜譚』も非常に面白く何度も読み返しました。これは栄一が明治6年(1873)に大蔵省を退官するまでの自伝ですが、「青天を衝け」でも詳しく描かれた栄一の青年期がよく分かる自伝で、「青天を衝け」でも随分とこの自伝のエピソードが取り上げられていて、私はこのドラマを「実写版雨夜譚」と呼んでいました。

たとえば、第1回目冒頭で流れた、栄一と従兄弟喜作が、徳川慶喜が馬に乗って駆けるのを走って追いかけ、自身の名を名乗るシーンがありましたが、これは『雨夜譚』にあるエピソードが基になっており、堤真一さんが演じていた慶喜の側近平岡円四郎が、栄一が仕官を前に慶喜に拝謁したいと言うのに対し、前例がないからできないといい一度断りますが、なんとか思案し、今度御乗切(乗馬の遠出)があるからその時に追いかけて、遠くから何某でござると名乗るように提案し、栄一・喜作はそれを実行しました。まさにドラマで描かれたシーンです。ただドラマと史実の違いは、『雨夜譚』に「自分の身体はその頃から肥満して居り」とあり、実際は残念ながら吉沢亮さんのような美しい容姿ではなかったという点です。

ドラマをみた人はそんな違いも楽しめますし、これから渋沢栄一についてしりたい人も面白いエピソードが満載されていて、十分楽しめると思います。

さて、このような「自伝」は人物を調べる際に非常に役立ちます。家族構成、生い立ち、交友関係、発言や行動等さまざまな情報を得ることがきできます。もちろん、本人が書くことですから、都合のよいことを書いたり、脚色をしているという前提は持たねばなりませんが、特に資料が少ない人物については「自伝」に頼る場面が多々生じることがあります。

先祖調査においても、「自伝」「手記」「メモ」がみつかることがあります。くずし字やくせ字など読みにくいものもありますが、資料が少ない家の調査場合、大変有益な情報源になることがあります。

先祖調査をはじめる時は、こういったご先祖が残した「自伝」「手記」「メモ」自宅に残ってないか、あるいは親戚の家に残っていないか探してみると良いと思います。