巨大クジラと「鯨塚」

主任調査員の金子です。久々の投稿となります。

1月に大阪市淀川の河口に現れた「迷いクジラ」の話題がありました。普段は深海にいるマッコウクジラが河口に現れたとあって、大きな話題となり、「淀ちゃん」という愛称までつけられました。残念ながらその後、迷いクジラは死亡が確認され、その遺骸は紀伊半島沖に沈められました。

このニュースをみて思い出したのが、近所の東品川利田神社にある「鯨塚」です。

寛政10年5月1日(1798・6・14)、前日の暴風雨にもまれて、一頭の巨大クジラが品川沖に迷い込みました。品川浦には漁師が数多く住んでいましたが、クジラを捕獲したことのある漁師はいませんでした。目の前にきたクジラをみすみすと逃したとあっては品川漁師の恥だとして、船を出し、音や大声で、天王洲内側まで追い込み、これを捕獲しました。

この話は江戸中に伝わり、江戸近郊からも見物人がやってくる騒ぎとなりました。

さらにこの騒ぎは江戸城にも伝わり、幕府より将軍徳川家斉の上覧に供するよう命じられ、巨大クジラは浜御殿まで運ばれ、将軍家斉の上覧するところとなりました。

その後、巨大クジラは品川浦の漁師に返されましたが、「将軍様上覧のクジラ」ともあり、ますます人気となり、連日多くの見物人が訪れ、瀧沢馬琴がこのことを基に『鯨魚尺品革羽織』という戯作を書くなど、クジラブームに沸きました。

やがて、巨大クジラの死骸が異臭を放つようになったため、油を搾って、残った骨は利田神社境内に埋められ、その上に「鯨塚」を建て供養しました。

鯨塚01

 

鯨塚02

もちろん、当時の人と、現在の私たちでは価値観が異なり、時代背景も異なりますので、同一にはみられませんが、珍しい巨大クジラをみて大騒ぎになる様子や、憐れみを持つ感覚は、今も昔も通じるような気がしました。

神社の境内をみると、このような変わった石造物に出会えることがあります。また、狛犬・玉垣・鳥居などには寄進者の名前が刻まれており、たいていは地元の氏子たちによるものです。利田神社にも寄進者の名前が刻まれた石造物があり、かつて巨大クジラをみた住民たちの子孫ではないかと想像がふくらみます。

利田神社石造物

先祖調査ではこのような神社の境内にあるものをくまなく確認します。そうすると、当時の人の暮らしの一端がみえてくることがあります。

巨大クジラの一件をみても、昔も今も人の行動や感性は案外変わらぬものだなと思いました。

なお、この「鯨塚」の顛末は現地にある案内板にも書かれていますが、『品川の口碑と伝説』により詳しい経緯が書かれています。