知らなかったこと
今から70年前、北方領土に住んでいた人たちは命からがら逃げてきました。
父も船で逃げてきたものと勝手に思いこんでいました。ところが改めて聞いてみると、戦争中は勤労動員で神奈川県横浜市、石川島芝浦タービンにいたとのこと。終戦時17歳、手先の器用さをかわれて、長野県松本市に新しくできた工場に異動となり働いていたそうです。
8月終戦、根室に帰った父は、空襲で何もなくなってしまった市内を見て愕然としますが、幸い家族・親戚は島から引き上げて身を寄せ合って生きていました。その後父は生きていくために小学校の用務員になったり、大工をやったり、昆布の行商をしたり、行商先で出会った母と...父の話はまだまだ続きました。
ファミリーヒストリー記録社を始めようと思っていなければ、きっと聞いてはいませんでした。そんな戦前戦後の話も含めて、高度成長期の話、子育ての話、病いや怪我の話、事業を始めた話、本当に様々な話が、父だけでなく誰にでもあるということ、100人いれば100通りの物語があるということを今は実感しています。
聞こう、残そうと思わなければ、その記憶は消えてしまうだけなんですよね。
写真は前回記事の小学生の父と兄、弟、そして遠くに行ってしまったお姉さんです。