地元「竹塚神社」にて
なんと「天元年間(978-983)に伊勢皇大神宮を遷しここに祭る」という由緒ある神社ですが、以前あった参道の中ほどの両部鳥居(厳島型)は区内でも珍しいものだったようです。
昨日は肌寒い一日でしたが、七五三のお参りも準備されていました。
(写真は改修後のものです)


熊本教室、2回お話することになりました~栄養ドリンク飲んで頑張ります(^^)/
NHK文化センター熊本教室にて
ファミリーヒストリーの調べ方講座を開催(^^)/ 満席?!キャンセル待ち
リアル開催です。具体的な調査事例、現地調査法、軍歴証明の解説、ネット検索もその場で実演いたします。
熊本県からの調査のご依頼は九州で最も多くなっています。あと数日ありますので、ぜひお越しください。
2023年10月29日(日)15:30-17:00
https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1280522.html
福山―広島―(広島お好み焼き)―大阪梅田―京都 前半戦終了しました。
・広島も大阪・京都も外国人観光客でいっぱいの二連休でした。
・どちらの受講生にも「今日から、明日から始めてみようと思いました」と書いてくださる方が多く、とても嬉しく励みになります。既に拙著をご購入いただいていた方にはサインを、まだの方にも手売りできました。足りなかった分はAmazonなどで…とご案内。ご参加ありがとうございました。順次アンケートご質問への回答をしていきます。
・帰社後、ある方の祖父が軍隊へ行ったことを一切家族に話していなかったのですが、官報で名前だけ発見。県に確認したところ「ある」との回答。ご先祖の情報が増えそうでホッとしています。
・既にルーツ調査を進めている方が、弊社調査員の調査力がすごいので、夫の親族も調べてほしいとご連絡がありました。嬉しいですね。
・また以前にルーツ調査報告書を納品した方も、今度は母方をご自身でも調べてみたい、でもまず戸籍謄本が読み解けないとのことで、「戸籍謄本が秘める物語」のご依頼となりました。なるほどそういった活用方法もあるんですね。
さて、今は通常業務に戻っていますが、10月末~11月初めには熊本市、西宮、守口の三か所のNHK文化センターでお話します。
過ごしやすい季節になってきました。是非各地の方々もお立ち寄りください。(写真は福山城と大阪梅田駅側面(笑))
106年ぶりのお墓参り、米国ワイオミング州地元紙に掲載されました。
【記事翻訳】
ケメラー‐宗貞幹子氏と夫の高野勝則氏は、宗貞氏の曽祖父で、1917年に事故により亡くなるまで第6サブレットで炭鉱労働者だった宗貞作市の墓を訪ねるため、広島からケメラーまで驚くべき旅をした。夫妻は9月2日の土曜日に街を訪れた。
植田杏奈氏と彼女の夫であるジャニル・ヘーラット氏が通訳を務め、夫妻はサウス・リンカーン墓地にある曽祖父の埋葬地を訪れた。植田氏はファミリー・ヒストリー・レコード社にて、日本人の家族が親戚や先祖と再びつながる手助けをしている。
「曾祖父の軌跡を辿り偲ぶというこの心温まるミッションは、世代を超えた繫がりを痛切に物語るものです」と植田氏はガゼットに語った。「長年分からなかったルーツがこのように繋がったのは、彼らにとって非常に意味深いこと。日本では毎年8月に先祖の墓参りをする習慣があります。今回の旅はタイムリーな時期であるだけでなく、ルーツと繫がり、曽祖父が遺したものを称えたいという宗貞さんの長年の夢が実現することとなった非常に深い意味を持つものです。」
宗貞氏は、曽祖父がアメリカに移住したことは聞いていたが、正確な場所はそれまで知らなかった。彼女は曽祖父の作市がケメラーで亡くなったことに加え、作市が炭鉱労働者であり、サブレット第6炭鉱で事故により亡くなったことを知った。
フォート・ブリッジャーに住むジャン・ケナー氏の助けを借り、宗貞はケメラーにある曽祖父の墓を見つけることができた。ケナー氏は、Find A Graveというウェブサイトを通じて宗貞とつながった。
「夫と私は彼女の曾祖父の名前を持ってケメラーの墓地に来たのですが、お墓を見つけることができませんでした」とケナーは語った。
ケナー氏はその後、(追記:埋葬者と墓石の照合の際に)名前が英語で登録されてあり、またその綴りが間違っていたことを発見した。そして彼らは正しい綴りを見つけ、墓石を見つけることができた。
「すべてがひとつに繋がるなんて、なんと素晴らしいことでしょう」とケナー氏は言った。
植田氏とケナー氏の歴史への情熱と先祖代々の遺産を守ろうとする姿勢が、宗貞氏の家族の物語を明るみに出した。植田氏は何カ月も費やし夫妻の家族のルーツ探しに協力した。
「ジャンの助けがなければ、このプロジェクトは完成しませんでした」と植田氏。「このルーツ探しの過程でとりわけ注目すべきなのは、ジャンの助けです。これは、文化を超えたコミュニティの力を示しています。彼女の知識と献身のお陰で、埋葬場所を正確に特定することができました。」
何度も電子メールのやりとりをした後、ケナー氏と宗貞氏はついに墓地で対面し涙を流した。そして宗貞氏は初めて曾祖父の墓を訪れた。夫の高野氏とともに作市の墓前で祈りを捧げ、墓石に日本酒を注ぎ、宗貞氏は日本の曾祖母の墓の土を作市の墓にまいた。
植田氏の通訳のもと、宗貞氏は先祖を偲ぶことの意義と、思いがけない縁がもたらす影響について語った。
「私は小さな町で生まれ、曽祖父がアメリカに行ったことは聞いていました。大人になるにつれ、曽祖父のことを考えると、海外で一人亡くなるのはどれだけ寂しかったろうと思うようになりました」
曾祖父のことを思い、祈っていた宗貞氏は、彼の墓を訪れ、計り知れない幸福を感じたという。
「今日、私たちがお参りしたことで、曽祖父が幸せな気持ちになってくれていたらいいなと思います。彼は私たちにここに来てほしかったのだと思います。」
地元の歴史家であるノリス・トラトニック氏は、作市の死について彼が見つけた情報を提供するために墓地にいた。1917年1月10日、作市は45歳の時に落石により亡くなったという。
地元の墓地を訪れた後、一行はフォッシル・カントリー・フロンティア博物館に行き、その後フォート・ブリッジャーにあるケナーの家に向かった。
https://kemmerergazette.com/article/japanese-woman-travels-to-kemmerer-to-connect-to-past