カテゴリー別アーカイブ: ファミリーヒストリー記録社ができるまで

足立区の皆さん(^^)/

足立区の皆さん(^^)/
 
 地元でおなじみのタブロイド紙「足立朝日新聞」に掲載していただきました。一面はサクラの名所を紹介していますが、その裏でこっそり顔出ししています。
 お墓好きのスタッフと一緒に。
2017-04-05 08.05.34
 足立朝日新聞は、足立区内の朝日新聞すべてと、日経新聞・東京新聞・産経新聞の一部に折り込まれているようです。

今朝の読売新聞に我が家のファミリーヒストリーが…

今朝の読売新聞に我が家のファミリーヒストリーが…

2015-07-29 22.32.03

読売新聞朝刊全国版に弊社のことが掲載されました。
ある年齢になってから、以前と全く異なることを始めた人々を特集するコーナーです。確かに言われてみれば、前職は食品メーカー研究員でしたので、なぜファミリーヒストリー記録社をはじめたのかと聞かれることもしばしばです。
今回の記事でだいたいのところは書いていただきました。恥ずかしながら我が家のファミリーヒストリーも書いてあります。

こんな背景を持つ会社ですが、引き続きご愛顧のほどよろしくお願いします~

http://www.yomiuri.co.jp/economy/job/middle/nextlife/20150729-OYT8T50053.html

 

私のファミリーヒストリー

私のファミリーヒストリー

先日まで旧土地台帳取得、祖先の暮らしていたと思われる住所、岩手県山田町に住む方数軒にお手紙を出したりしていました。
そのうち1軒から丁寧な回答が寄せられました。

我が家の祖先の総本家と思われる家の屋号がわかりました。しかしその総本家などが住んでいた場所は、先の津波で甚大な被害を被り、過去帳どころか家さえも流されてしまっているそうです。
2寺のお寺を教えていただきましたので、これからそちらに問い合わせしようと思います。

被災地に対して何かしなくてはと思いつつ4年も経ってしまいました。今年、現地に行きたい...という思いが強くなっています。

旧土地台帳

 

あらためてファミリーヒストリー記録社の思い

あらためてファミリーヒストリー記録社の思い

ここ1-2週間で3度ほど人前でお話する機会をいただきました。4分、30分、60分とそれぞれ話す時間もテーマも違いますが、ファミリーヒストリー記録社の思いを伝えられていればいいなと思います。

 

「思いと歴史を知ることは、自分自身だけでなく家族や会社の絆を深め、価値に気づき、価値を高めることです。思いや記憶は話さなければ消えてしまいます。是非お話してください。ファミリーヒストリー記録社は思いや歴史を伝えるお手伝いをしています」――そうお伝えしていました。

 

講師として話す時に思っていることは、一度でもいいので笑わせたいなぁということです。笑ってもらえれば、リラックスしてもらえるからです。そして最も伝えたいことも聞いてもらえるように思うからです。今回はどうだったんでしょう? 後からアンケート結果が回ってきます。ドキドキ。

 

お客様のお話をお聞きし、文章化する際も同じかもしれません。読む方の事を考えて文章にしなければなりません。これまでは、その方の話している雰囲気を文章にうつしたいと思っていました。ご家族が目を通した時に、その方がそばで話しているかのように文章化していました。もちろん全体的な整理もしますし、時代の流れを客観的に表現し、わかりやすくする工夫はしています。

しかし改めて文章の勉強をしてみると、話す時と同様に、心をつかむ書き方や順序、リズムがあり、最後まで読みたくなる文章にできることがわかりました。

話していないことまで装飾はしません。でも読み手を意識してこれまで以上に気をつけたいと改めて思いました。

20150307千住

 

その時代に生きた足跡

 その時代に生きた足跡

そうして、話に聞いた秋勇留島、横浜市鶴見区の寄宿舎、その近くのお寺、株式会社IHIの歴史、そんな資料を集めてその時代を思い浮かべられるように記録し始めたのです。写真が無ければ想像図をイラストで描き、地図があれば国土地理院に行き、戦争体験があれば軍歴証明を取り、渡航経験があれば外交史料館、経営者なら社史図書館などなど...。

もともと研究職だったので、どうも調べることが好きだったようです。

 

既に亡くなっていますが、シベリア抑留経験を持つ、ある会社の創業者のことを調査しました。満州国で軍属となって働いていたようですが、戦争末期の根こそぎ動員により召集されます。始めはどこでどんな仕事をしていたのか具体的にわかりませんでした。

国会図書館、防衛研究所、外交史料館などをまわって調べましたが何も見つかりません。そんな時に二代目社長の口から「同業の○○さんと一緒に行っていたそうだ」とお聞きしました。「でも亡くなって世代が変わっているし、疎遠になっているので聞くのは難しい」とのこと。しかし、その○○さんの経営する会社の社史を、川崎にある「社史図書館」で見つけます。

なんとそこには生前の創業者と○○さんが一緒に写った写真が残っていたのです。そして満州での仕事について初めて明らかにすることができました。

 

いつでも何かが見つかる訳ではありません。でもほんの小さな糸を手繰り寄せると、その時代に生きた足跡が見つかるかもしれません。

 

ファミリーヒストリー記録社はこちら→

http://familyhistory.secret.jp

知らなかったこと

知らなかったこと

今から70年前、北方領土に住んでいた人たちは命からがら逃げてきました。
父も船で逃げてきたものと勝手に思いこんでいました。ところが改めて聞いてみると、戦争中は勤労動員で神奈川県横浜市、石川島芝浦タービンにいたとのこと。終戦時17歳、手先の器用さをかわれて、長野県松本市に新しくできた工場に異動となり働いていたそうです。
8月終戦、根室に帰った父は、空襲で何もなくなってしまった市内を見て愕然としますが、幸い家族・親戚は島から引き上げて身を寄せ合って生きていました。その後父は生きていくために小学校の用務員になったり、大工をやったり、昆布の行商をしたり、行商先で出会った母と...父の話はまだまだ続きました。

ファミリーヒストリー記録社を始めようと思っていなければ、きっと聞いてはいませんでした。そんな戦前戦後の話も含めて、高度成長期の話、子育ての話、病いや怪我の話、事業を始めた話、本当に様々な話が、父だけでなく誰にでもあるということ、100人いれば100通りの物語があるということを今は実感しています。

聞こう、残そうと思わなければ、その記憶は消えてしまうだけなんですよね。

写真は前回記事の小学生の父と兄、弟、そして遠くに行ってしまったお姉さんです。

600dpiコントラスト

父方の戸籍謄本の所得

父方の戸籍謄本の取得

戸籍謄本の取得は、基本的にご本人が手続きを行います。ファミリーヒストリー記録社ではご本人の手間を極力減らすようご協力しています。
まずは根室市役所に戸籍謄本の申請をしました。すると父の父の父は岩手県山田町から転籍したとあります。そこで根室市で取得した謄本のコピーを添付して、今度は岩手県山田町に申請します。
山田町と言えば、東日本大震災で被災し、過去にも何度となく地震や津波の被害を受けています。昔の戸籍は80年間しか保管していない時期もあり、既に申請しても取得できない方も一部にいらっしゃいます。また、空襲や震災で保管している建物ごと焼失してしまっている地域もあるのです。今は150年保管しておくよう法律が変わったのですが、一番古い1886年頃発行のものは2036年までに忘れないうちに取得しておく良いでしょう。

戸籍謄本の中に、父の姉が山田町の「武藤氏再興のため除籍」とあり父が小さい時に離れ離れになってしまいました。本をプレゼントした時に涙を流した原因のひとつに、大好きだったお姉さんのことがあったのではないかと思い、このお姉さんがもし山田町で生きていたなら...と想像しました。
無理とは知りつつ、山田町役場に問い合わせましたが、残念ながら直系ではないため、もしいらっしゃったとしても情報をいただくことはできませんでした。

大正8年生まれのお姉さんは7歳で山田町に渡っているので、生きていたら95歳。今度山田町に行った時に、何かつながりが見つかればと思うのでした。

北方領土生まれ

北方領土生まれ

 

父は昭和3年、今は北方領土と言われている、歯舞諸島の中の小さな小さな島「秋勇留島」で生まれました。終戦と同時に引き上げてきて、根室半島の漁村に居をかまえ小さな魚屋を始めました....ということは伝え聞いていたのですが、実際にどんな理由があって北方領土に来たのか、その前はどこにいたのか、どんな生活をしていたのか、さっぱり知りませんでした。また、若いうちは知りたいとも思いませんでした。

 

しかし不思議なことに自分が40歳を過ぎ50歳に近づいてくると、聞いておかなければと思うようになってきたのです。さらに父が大病を患い、手術でもしものことがあったらという医者からの確認があり、ますますその思いは強くなりました。

秋勇留島は人よりも馬の方が多い島で、一緒に暮らしていた人たちはもう残っていないのではないかと思います。

 

北方領土と言えば、中学校時代、北方領土返還を訴える根室市主催の弁論大会に出ることになりました。あまり声も大きくないですし、感情を入れて話すのも得意ではありません。それでも最後のフレーズくらいは大きな声で締めなくては!!と緊張してしまったのでしょう。一番良いところで、大きな声でかんでしまいました...(泣)。

つい余計なことまで思い出してしまいました。

 

そうして父のファミリーヒストリー調べが始まりました。               (つづく)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%AF%E8%88%9E%E7%BE%A4%E5%B3%B6

父も泣いていました。

父も泣いていました。

昨夜のNHKファミリーヒストリーでは、梅宮辰夫さんが出演し、泣いていましたね。芸能界という派手な世界にいて、地道に往診する町医者のお父さまの姿は、なかなか知ることができなかったのではないかと思います。

私が父のファミリーヒストリーを聞いて調べて、一冊の本にした時に、私の父も泣いていました。梅宮辰夫さんとは違うのですが、父が小学1年生だった頃の写真を見て
「ここに写っている中で生きているのは自分だけだ。姉も兄も弟も、みんなあの世に行ってしまった」そう言いながら涙を流しました。
我が家は4人姉弟で私には姉が2人弟が1人います。姉弟にも父との思い出と父へのメッセージを書いてもらいました。姉弟お互いに、父との接点が異なっていて知らないことも多々ありました。実母が早くに亡くなっていることもあり、母が亡くなってからの学年と環境変化に応じて、父に対する気持ちもそれぞれです。
また4人のメッセージは姉弟同志でも、父にとっても、初めてお互いを知る体験でした。だってふだんはそんなあらたまった話はしませんよね。

なかなか具体的には書きづらいですが、なぜファミリーヒストリー記録社を始めたのかを、これから時々書いていこうと思います。

お話を聞くということ

「お話を聞く」技術をいくばくかでも向上させたいと願い、いくつかの分野をのぞいてきました。ぱっと思い浮かぶのは 「傾聴」「インタビュー」「カウンセリング」「取材」「聴取」....

いろんな本を手に取って考えてみました。傾聴のように単に頷いて聞いているだけでいいのか、カウンセリングのように心がつらい方に聞く手法でいいのか、取材方式で聞きたい質問をしていけばいいのか、民俗学のような取材はどうなのか、などなど。何かどれも合っているようで、微妙に異なるような感じもしました。あるいはその良いところを抽出できないかとも感じました。

ファミリーヒストリー記録社で貢献したいと考えていることは、お父さんお母さんに人生の歴史を語っていただき、それをお子さんお孫さんたちに伝えていくことが一つの目標です。もう一つの目標は、ご本人が語る過程で、ご自身の中に眠る数々の出来事を色鮮やかに思い出し、喜びや悲しみ、幸せな時や苦しかった時を乗り越えてきたことを改めて確認することなのではないかと思っています。それは、自分の人生を改めて認めなおし、自信を持って明日からも生きていこうと思える大事な時間と記録なのではないかと思うのです。

すべての方に、語るに足る深い深い歴史があります。思いがあります。そんな思いを語っていただく場を、個人史・家族史を制作する最初の過程、「お話を聞く」過程で作っていきたいと願っていますが...まだまだ修業中です。

「プロカウンセラーの聞く技術・話す技術」浮世満理子・水島広子・諸富祥彦監修 マルコ社

「プロカウンセラーの聞く技術」東山紘久著 創元社

「プロカウンセラーが教えるはじめての傾聴術」古宮昇著 ナツメ社

「聞く力 心をひらく35のヒント」阿川佐和子著 文春新書

その他